The Extremist

 その港湾都市は夜に真価を発揮する。太陽が沈むと、入れ替わる様に至る所で点灯する煌びやかな光の群。モノトーンで統一された高層ビルが立ち並ぶ光景は、昼間に見ると未来的でありながらどこか無感情で面白味に欠けるというのに、周囲が暗くなれば一転し、複数の淡い色を纏う。
 不景気の荒波に揉まれる地方都市を救うべく、再開発の一環として取り入れたこのイルミネーション企画は、最新鋭の技術を投下し、一時間刻みで消灯・再点灯を繰り返し、空が白むまで毎日休むことなく展開し続けていった。結果、新たな名所誕生、観光業による経済の活性化に貢献した功績が認められ、眠りしらずの都市として多くの人々を魅了していく。そして、人工的な光がもたらしたのは都市の発展だけではなかった。
 観光客には、美しいものを目にして得られる幸福感を。仕事柄帰宅が遅い社会人には、労いを込めたささやかな癒しを。そして眠れずに過ごす人々には、瞼を閉じるまでの無言の話し相手として。

 夏の大型連休にはまだ日数がある平日半ばの夜間。隣接する都市からこの港湾都市へと繋ぐ大規模な吊り橋からは、より鮮明に眠りしらずの都市を拝むことが可能だと大抵のガイドブックには記載されており、ゆえに吊り橋は観光目的の人間たちで混雑している日が多い。ただし、わざわざ喧騒の中に飛び込まずとも、地元ならではの穴場スポットというのはどの土地にも存在しているもので、その点を心得ている地元の人間たちは、イルミネーションの全体像を一眸できる商港に足を運んでいた。
 デート中らしき男女二人組が密やかに寄り添っている中、浮き桟橋の縁にぽつんと独り立ち尽くす男がいる。齢三十頃の、猫背のせいで高身長が活かされずにいる冴えない風貌。この場にいる人間たちの眼前に広がる光の群がなければ、たちまちその存在が夜の空気に溶けてしまいそうですらあった。
 彼はこの世に生を受けてから現在まで、一度も離れる事なく都心から車で四十分程の距離にある港町で過ごしてきた。彼が立つこの浮き桟橋は、幼い頃からのお気に入りの場所であり、何かあった日も、何もなかった日でも、どんなに仕事が立て込んで忙殺されそうな状況だとしても、僅かな時間を捻出して必ず訪れている。男にとってこの場に足を運ぶことは、疲労困憊の中自宅にある安物のパイプベッドへ向かう時よりも重要なことだった。
 時刻は午後十一時五十八分。まもなく日付けが変わる。それと同時に、イルミネーションの消灯と再点灯が行われる。
 男は興奮せずにはいられなかった。今から自分がなす事が間違いなく周囲を、それ以上の人間を震撼させるのだと想像すると。左手首に巻いている腕時計の秒針を見つめながら、その時を無言で待つ。上着のポケットに突っ込んだままの右掌に、じんわりと汗が滲む。自慰をしている時のような高揚感に蝕まれ、笑い声とも呻き声とも判別しにくい声が迸りそうなのを噛み締めながら、男はカウントダウンを続ける。
(ああ……この美しい景色が壊れる瞬間を目に焼き付けながら死ねたら、どんなに幸福だろう)
 そんな空想に浸っていると、カチ、と時刻零時を告げる針の音が響く。同時に光が消えたのを見届け、男が即座にポケットの中に忍ばせていた何かを強めに押し込む。だが、待ち望んでいた衝撃は時計の針が半周しても訪れず、航空障害灯や道路照明灯の僅かな光が明滅している暗闇の中、数秒後には再びイルミネーションの光が灯されていく。
「えっ……」
 身体の中で渦巻いていた感情が行き場をなくし、萎んでいくのに困惑しながら、男は右手に握っていた小型のリモコンをポケットから取り出す。何度ボタンを押してみても反応はない。
「何でだ、テストした時はちゃんと作動したのに」
「えー、それはですね。爆発する筈だったものを全てこちらで回収、解体済みだからですよ」
 背後から聞こえる女の肉声に男の声と心臓が跳ね上がる。血の気が引くとはこういうことか、とどこかで自分を観察している自分自身の存在と、突如現れた不可思議な存在を全身で感じながら、男はゆっくりと振り返る。だが膝裏に痛烈な蹴りが入り、膝をついてすぐ目に入ったのは己の首筋にあてられた鋭利な刃で、その持ち主の風貌を視界に入れることは叶わなかった。
「起爆スイッチをそのまま捨ててください」
 抑揚のない女の声に逆らうという選択はなく、男は言われた通りに、握りしめていた起爆スイッチをその場に落とす。女がそれを後方に蹴れば、新たな足音が接近し回収していく。背後で繰り広げられているやりとりを身動きの取れない男には確認のしようがないが、現時点で彼に分かるのは、綿密に立てた計画が何者かによって握り潰されたという許しがたい事実。
 再点灯を終え、今ならまだ終電に間に合う時間だとばかりに、吊り橋にいた人々が動き始める。男が望んでいた光景とは真逆の、平常通りの光景。異なるのは自分と、武器を持つ正体不明の女が立つ浮き桟橋のみ。
 男は怒りから拳を握る。と同時に、それを上回る恐怖に屈してしまう。今の自分は、背後の憎き敵を返り討ちにできないことを理解するだけの理性は残っていた。
「べ、弁護士を」
「あなたを弁護する人間はいません」
「なっ」
「自分が爆弾テロリストとして逮捕されるなどと考えているなら、残念ですがそれは違います。私はあなたを逮捕できる権限を持ち合わせてはいませんし、そんな生温い処遇は認めません。それに、黙秘しても状況は変わりません。必要な情報は既にこちらの手中にあり、あなたはどこかしらの組織の工作員ではなく、個人で動く精神病質者でしかないことも調べはついていますので」
「そんな……そんなこと、許されるわけが」
「許されるか許されないのか、は今この場に関係のないこと。必要なのは、あなたがこのまま終わるという結末のみ」
 次々と退路を容赦なく塞がれていき、男に残ったのは命を繋ぐ僅かな時間のみ。腕時計の秒針の音と、激しく脈打つ心臓の鼓動がやけに耳に元で響いている。あと何分、いや、あと何秒──残された時間で、今の自分に何ができるのか。
 必死にこの場を逃れる為男が思考を巡らせるが、女は更に畳み掛けるようにターゲットの双眸を右手で塞ぎ、首に刃を立てる。視界を塞がれた男は、首に食い込む異物の感触に奥歯を震わせた。
「ジェレミー・ジョーンズ……何か言い遺すことはありますか」
「う……嘘、だろ」
「もう、こちらからあなたに伝えることはありませんので」
「じ、じゃあ、俺から……ひとつ、聞かせてくれ。いや、答えなくてもいいから、その、言わせてくれ」
 無言を肯定と受け取り、ジェレミーと呼ばれた男は呂律が怪しい口を再度開き
「あんたは、その、この町をどう思う……この、毎日眠らない町を」
「……特に思う所はありません」
「お……俺は、嫌いだ。ゆ、許せなかったんだ。あんな、眩しくて、下品なもん、勝手に、つ、作りやがって……昔の、あの、静かな景色を取り戻したい……それだけ、だったのに」
「そうですか」
 肯定も否定もせず、言い分は聞いたとだけ告げた女は、ジェレミーの目を塞いでいた手を少しだけずらし、口元を覆う。そしてそのまま、左手に力を込め首を斬る。止めどなく溢れ出る鮮血がジェレミーの身体を次々と伝って落ちるのを、女は正面に回り込み武器を拭いながら見つめている。
 傷口に両手を添え、ジェレミーは身体を支える力を失いながら前のめりになる。それでも視界を地ではなく前方に向け、そして自分を手にかけた女を見上げた。
「くそ……邪魔、だ……見え、にくい、だろ……」
 ジェレミーは最期にひとつだけ嘘を吐いた。この弱々しい抵抗が自身の行き着く先を変えることはない。それでも、このまま終わるのが悔しかった。
 素知らぬ顔で今夜も変わらず輝いている憎い世界をバックに、自分ががこと切れる瞬間を無感動に待つ漆黒の女の姿が、出血と共に薄れゆく意識の中──やけに美しく見えたことが。


Twitterのタグ #フォロワーさんの絵から小説を書かせていただく より。イラスト 布田さん。