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 とは言ったものの、歩き慣れている筈のゆるやかな坂道を、知り合ったばかりの人と一緒に進むのはやっぱり落ち着かなかった。でもそれは嫌な感覚ではなくて、むしろ楽しくなってきてすらいる。母さんや友だちと一緒にいても、こんな風になるのはそうないのに。
 そうして村に着いてからしばらく、大通りを選んで歩いているのに、他の大人たちをひとりも見かけなかった。普段は嫌でも誰かしらと会うのに、意識し始めると急にいなくなってしまうのが不思議だ。まぁ、みんなの行き先は決まっているけれど。
 俺は直感で、おじさんは海外からやってきた人だと勝手に思い込んでいた。でもここに着くまでに時々振り返りながら聞いてみたら、実際はこの国の生まれで、俺が生まれる頃まで首都で医者として働いていたらしい。その後は仕事の関係で、国を問わず色んなところを飛び回っていたのが、途中大規模な列車事故に巻き込まれてしまい、昏睡状態のまま病院のベッドから三年は動けなかったとか。
「で、なんとかリハビリを終えてからこっちに戻ってきて、現在に至る。といった感じかな」
「すごい。そんなに長く入院していたのに、また旅を続けられるなんて」
 普通に話しているけれど、それってかなり大変なことじゃないのか。俺は控え目に聞いてみた。対しておじさんは特に変わらず、穏やかな空気を崩さない。
「ああ。まだやり残したことがあるし……それに正直、もう一生分は眠ってしまった気がするからね」
「それってもしかして、今は全然寝てないとか」
「そうだよ……って、言えたらかっこいいかな」
「なんだ、びっくりしたぁ」
 そんな調子で話していた時、俺は平坦な道を歩いているのにも関わらず、足がもつれてその場でバランスを崩してしまった。次の瞬間には膝辺りにきそうな衝撃を想像して、思わず目をつぶる。でも、俺の身体が触れたのは地面じゃなくて人間の手。
「危なかった。大丈夫かい」
「う、うん」
 おじさんが肩を掴んでくれたおかげで、どうにか転ばすに済んだみたいだった。お礼を言わないと、そう思いながらも、俺はこの偶然のやりとりに対して無性に感動してしまった。別に特別なことではないとは思うけれど、友だちが親と一緒に歩いている時に、同じようにされていたのを見かけたことがあった。
「いなかったからわかんなかった。こういうの初めて」
「初めて、とは」
「なんていうか……俺にも、おじさんみたいな父親がいたらなぁって」
 思わず口にした一言を、おじさんは聞き逃さなかったらしく、深刻そうな顔でこっちを見ている。でも俺が続けず黙って歩いていると、なにも言わずに隣にやってきた。並んで歩くのに慣れてきた頃、俺は気になったことを聞いてみた。
「ねぇ、ジュードって人見つけたら、おじさんは自分の家に帰るのか」
「ん……うーん。そうだなぁ……その時になってみないとわからないが、帰るとしても寄り道しながらかな。と言いつつ、結局そのまま旅を続けているかも」
「いいなぁ……俺もおじさんみたいに旅してみたい」
「えっ」
「もちろん、今すぐは無理でもさ。もう少しでかくなって、ひとりでも生きていけるようになったら」
 この狭い場所しか知らない俺にとって、色んな場所を旅してきたというおじさんの存在は不思議そのもので、でも優しくて頼もしい。考えみれば、お互い名前すら知らないし、出会ってから一時間もたっていないのに。それでも気になってしまうのは、髪と目の色が俺と同じで、時々微かに土と煙草の匂いがするおじさんが、会ったことのない存在とうさんはこんな人だったらいいのにという、心臓の奥にしまっておいた理想に近いからだろうか。
 そんな気持ちからの一言だったのに、おじさんはなぜか難しい顔をしてみせる。
「少年。自分からひとりになろうとするな」
「え……」
「君がそう望むのは、小さな村に突然現れた男ノーマッドがもの珍しいからだ。だからこんな男に惑わされずに、家族や、今の居場所を大事にした方がいい。君の父さんも、きっとそう願っている」
 まるで突き放すような言い方に、俺の身体が一気に冷える。
「そういうの、ずるい」
「……少年」
「俺ですら会ったことのない父さんの気持ち、なんでおじさんにわかるんだよ」
「……確かに、君の言う通りだ。少年、すまなかった」
 鼻の奥に痛みを感じながら、震える声でそう反論すれば、おじさんは俺を気遣うように微笑んでみせながらも、細めている目を少し揺らす。これは見覚えがある。母さんが困った時にするやつと同じものだ。
 さっきおじさんに対して偉そうなことを言ったクセに、そういう自分はこれか。一気に居心地が悪くなって視線を地面に落とすと、おじさんはためらいがちに俺の頭をそっと撫でてくる。母さんのものとは全然違う、髪に触れる手の大きさや重さが、俺の沈んだ気持ちを少し軽くしてくれた気がした。


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