Wilderness【09:29 a.m.】

 世界はゆるやかな死へと向かっている。
 地球温暖化に始まり、海面の水位は上がり、砂漠化が進む。大気汚染が深刻化している国もあれば、少子化によって人口そのものが減少傾向にある国だってある。宗教による思想の相違や、表立って言わずとも資源確保を根底にした戦争だって、先の世界規模の大戦からどんなに時間が経過しても無くならない。
 どんなに文明が発展していても、いつかは滅びるというのは長きに渡り語られてきた真理で、それがただ、全世界規模になっただけに過ぎないということなのだろうか。
 しかし、それは見方を変えてみればここ数世紀の内に始まったことではなく、おそらくは、後に世界中でベストセラーになった聖書が書き記される、それよりも以前から。原初の生命が地上に姿を現わすよりも、更に遡った刻から──。
 そう考えれば、今俺の眼前に広がる光景も、そして時代もまた、その過程の一部分をひとりの人間の視点で切り取ったに過ぎないのだろう。寿命が一〇〇年に届かない種族が思っているよりもずっと、世界は広大で、刻は永い。

 かの優秀な鉄の少年の予測通り、三〇分程歩き続けた先に、街道沿いの町に辿り着いた。しかし、魔法使いの住処だと聞いていたその町には人の姿が見当たらず、それどころか殺伐とした雰囲気が肌に刺さる。本来なら国境を行き来する観光客で活気があるのだろう、日干しレンガ造りの飲食店やホテルのドアも固く閉ざされていた。
 どちらにしろ、あの危険な連中がいるのであれば長居は無用だ。俺は大通りを早々に抜けようと足を速めるが、遠くから聴き覚えのある音が俺を追いかけてくる。複数のバイクや大型車両のエンジン音──これはまずい。
 緊張による動悸と冷や汗を無視しながら周囲を見回すと、元は酒場だったらしい廃墟が飛び込んでくる。俺は迷わずそこへ踏み込む。立て付けの悪いスイングドアを越えれば、カウンターと割れた酒瓶、脚の折れた椅子とテーブルが散乱しているが、奥には二階へと続く階段がある。
 背後を気にしつつ階段を上りきれば、宿泊用らしき部屋が四部屋ある。埃臭さはあるものの、床に複数の足跡が残っているのを見るに、人の出入りはあるらしい。ここがあの無法者たちの根城であれば、不法侵入者である俺は今度こそ命を落としてしまうだろうが、今更下へ戻る訳にもいかない。
 廊下の突き当たりにある窓からそっと覗いてみると、あいつらがバイクを停め荷物を降ろしている。とにかく身を隠し、隙を見て脱出しなければ。俺は右手の部屋のドアが半開きになっているのを確認し、ゆっくりと開け身体を部屋へと滑り込ませた。
 すると、変わらず雑然とした部屋ではあったが、下の階とはまた異なる光景が飛び込んでくる。鉄錆と古い油の臭いが漂う部屋の中には、至る所に元はロボットだったらしいスクラップが散乱し、どれも頭部が切り取られている。これが人間のものでなかっただけ、まだマシということなのだろうか。
 正直見ていてあまり気持ちのいいものではないが、どうにか身を潜めることはできないだろうかと奥へ進む。途中なにか踏んでしまったが、あまり考えないようにして進んだ先には、かろうじて鉄塊に埋もれていないスペースがあり、そこには人間が寝ていた。顔の上には新聞が乗せてあるため表情は伺い知れないが、腹部が一定の間隔で膨れているのを見ると、一応死体ではないらしい。
 着古されたオーバーオールを着ているその人物は、俺の訪問に気付かぬまま、まぬけな声をあげながら背伸びをしてみせる。そのまま、顔を覆っていた古い新聞紙を取り払いながら俺を見つけ、
「おや、新入りかい」
「……新入りというのは」
「なんだ。あんたは奴らに命乞いするしかなかった、不運な男ではないってことか」
「命乞いとはまた不穏だな。俺はただ国境を越えたいだけだ」
「ほう。それならますます不運な男ってことだ。国境への道は封鎖されているよ。今では一部の者しか通れない」
 老人は物が散乱している空間において、どこになにが置いてあるかを器用に覚えているらしい。ロボットの山に手を突っ込んだかと思えば、さほど汚れていないタオルを引っ張り出し顔を拭う。日に焼けた肌が、少しだけ明るくなった。
「あんたはここでなにしている。外にいる物騒な奴らとの関係は」
「あんな野蛮な奴らと一緒にしないでくれ。私はただ、自分の仕事を全うするしかない……それだけの話だ」
「それでこの墓 場スクラップの山か」
「あの若い連中、南にある研究所のロボットたちを襲っては町に持ち帰って、私に頭部を切り離させるんだ。そしてその頭部を祭壇に捧げ、なにかの儀式をしている。恐ろしくて覗いたことはないがね……」
「ロボット……人間は」
「人間も襲いはするが、せいぜい金品を巻き上げるくらいで、殺しはしない。奴らにとって、憎悪の対象ではないからな。旅行者の中には、命乞いして自分から配下に加わる者もいる」
 あの連中はただ暴行を働いているわけではないという。しかし憎悪の対象とはなんだ。情報を得ても、謎が深まるばかりだ。
「ところであんた、南の研究所には寄ったのか」
「ああ。金もバイクも全部奪われた。保護されたよ」
「そうか……」
 そこまで老人と会話していると、階段を荒々しく上る音が響いてきた。なにやらがちゃがちゃ鳴らしながら、まっすぐこちらに向かってくるのを察知すると、老人は立ち上がり目配せしてみせ、自分がさっきまで寝ていたスペースを俺に譲る。他に選択肢のない俺がそこへ寝そべると、周囲のスクラップを寄せられた上に新聞紙が乗せられる。
 雑ではあるが隠れ蓑を得た俺は息を潜めると、ノック代わりにドアを蹴る音がし、老人の返事を待たずに開かれた。
「おいくそじじい、仕事だ」
 男の声だ。この声と少し癖のあるイントネーション、聞き覚えがある。俺は物音を立てないよう身体を縮こまらせながら、意識は男の声に集中させる。
「こいつらだ。夕方までには終わらせといてくれ」
「またか。よくもまあ飽きずに毎日毎日……」
「知らねえよ、あいつらが勝手にやってることだ。とにかく、さっさとやっといてくれ」
 間違いない。この声は、俺のバイクを奪った奴のものだ。二日前の砂嵐によるノイズが邪魔したが、まさかこうも早く見つけられるとは……と、ここまで思考を巡らせたものの。
 今からあの男を追っかけて、俺のバイクや財布が返ってくるのならいいんだが、しかし下手を打って捕まるのは避けたい。ボトム少年曰く、ここにいるのは執拗に研究所に火力を撃ち込む集団だ。話が通じるとは思えないし、生憎俺は銃やナイフといった武器も持ち合わせてはいないのだから。
「おい、不運な男よ。出てきて構わんぞ」
「ああ、助かったよ。だがなぜ」
「簡単なことさ。私の前で面倒事を起こされたくないからだ」
 やれやれとぼやきながら、老人はあの男が持ってきた新たな鉄の塊を物色する。さしずめこいつは墓守、いや解剖医といったところかと目を細めていると、見覚えのある色が飛び込んでくる。最後に見た時より汚れや傷が増えているが、白い機体にキャタピラ──こいつは、まさか。
「老人、悪いがちょっとそいつを見せてくれ」
「なんだ、この旧式に見覚えでもあるのか」
「ああ、ここに来る前まで一緒だった……君……おい、ボトム」


   4