一五日目
「ボトム、いつもの曲かけてくれるかしら」
〈
「ええ、それよ」
アーカイブからこの家の主人が所望した曲が選出され、リビングにゆったりと流れ始める。二〇世紀の終わり頃、
「わたしはねぇ、リトル・ミス・ダイナマイトがカバーしたほうが好きなのよ。初めて聴いたのが彼女のだったからかしらね」
「元はスキータ・デイヴィスの歌なんでしたっけ」
「そうそう。あなた若いのによく知ってるわねぇ」
「ドナさんがあたしに教えてくれたんですよ」
「あら、そうだったかしら」
「ええ、そうですよ」
「いやね、こうしてどんどん物忘れがひどくなっていくのね」
「ドナさんの記憶力はまだまだ元気ですよ。あたしなんて最近、三秒前に調べようと思っていたことがなんだったのかすら忘れちゃいますし」
「ちょっとブレンダ、いくらなんでも早すぎるわよ。ねぇ、あなた」
そうあたしに微笑みかけたあと、彼女は自分の膝に乗せていた白い陶器製の箱にも語りかける。心底愛おしそうに一撫でしてみせながら。
ドナ・ジュードは死に取り憑かれている女性だ。
突然の死によって伴侶と引き裂かれてからずっと、遺骨を納めた箱を胸に抱きながら生きている。
世帯主兼雇用主のマーク・ジュード氏が亡くなったのはちょうど二週間前のことだった。あたしがハウスキーパーとしてジュード家にお世話になり始めて七年。夫婦二人暮らしでどちらも高齢者だから、働いているあいだにこういうことが起きてしまう可能性は十分ありえることではあったけれど、いざ直面すると、やはり何年も一緒に暮らしてきた人との別れは辛い。他人のあたしですらそうなのだから、残されたドナさんの悲しみは計り知れないものだろう。
マーク氏の死因は心筋梗塞。元々不整脈持ちで自宅でもバイタルは常にチェックされている状態だったから、彼が倒れた時すぐあたしやドナさんの携帯端末にアラートが出た。でも救急隊が到着したと同時に、彼は息を引き取ってしまった。
それから警察による現場検証から事情聴取に葬儀と、たった数日のあいだの出来事なのにめまぐるしくて圧倒される日々だった。その非日常から日常にあたしは戻ってきたものの、その温度差が激しくていまいち落ち着かない。それでも表面的にはなんとかいつも通りの生活ができているのは、きっと『死に囚われない存在』が、あたしを現実に引き戻すからだろう。
あたしがここに来る前からこの家に導入されているAI『ボトム』は、あたしにとってはスピーカーの中の住人だ。あたしは学校にまともに通ったことがないし、難しいことはよくわからないけれど、彼──落ち着いた男性の声がするから男性、ということにしておく──は旦那さんが生前導入したマルチサポートユニットで、この家の住人──今ではドナさんだけになってしまったけれど、実はあたしの生体データも組み込まれていると知ったのはつい最近だった──の体調や、この家の通信から電気、水道といったライフラインの管理を担当しているらしい。あとはもっぱらドナさんの話相手。あたしが掃除や洗濯、買い出しといった家事労働をしているあいだ、彼がドナさんとコミュニケーションをとっている。
最近では人に限りなく近いボディーを有するタイプも多い中、なんでわざわざ声でしか存在を感じられないそっけないものにしたのか。機械の身体があったほうが、あたしみたいに第三者に頼らなくても楽に過ごせそうなものなのに。でも導入したのは旦那さんだったというし、今となってはそんなあたしの疑問に答えてくれる人はいない。