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 このままニューマンに姿を消されては困るけれど、こういう時に限って車で出勤していない。署の車両はほとんど出払ったままで、かといってパトカーで向かえば面倒なことが起こるかもしれない。しかたなくアタシは、警察署前の大通りでタクシーを捕まえた。
 マギーにはニューマンの部屋を確認しに行くよう頼んだ。一緒に来てとは言えない。下手をすれば、アタシもキャロルのようになってしまうから。
 南東第九地区へ行くのは初めてだ。中央第三地区からだと片道一時間というところだろうか。帰宅ラッシュの時間も過ぎていたから、道中の移動に苦労はしなかった。けれど、流石に土地勘のあるタクシーの運転手は南東第九地区と聞いただけで青い顔をしていたから、地区まで五分程度の路上で降り、そこからは徒歩で向かうことにした。
 タクシーのエンジン音が遠ざかり、私の眼前に歪なネオン街が輪郭を露わにした頃、グレイ警部からの着信があった。
『今どこにいる』
「南東第九地区ゲート前です」
『おい、なにを考えているんだ』
「ニューマンがキャロルとなにかしらの接点があるとしたら、彼はここに逃げ込むのではないかと」
『だとしても、君ひとりで行くなんてあまりにも無謀すぎる』
「やめてください。アタシは刑事です。ひとりの刑事として扱ってください」
『こんな時だからこそだな……いや、とにかくゲート前で待機していろ。すぐに応援を送る。あと地区管轄の刑事にも連絡する』
「……ニューマンとキャロルの接点は」
『一〇歳の頃、半年だけ同じ学校のクラスだったようだ。ニューマンはその後父親の転勤に伴い第三地区を離れたが、うちの署への配属で戻ってきたことになる。おそらくその時再会したのだろう』
 たった半年。その間に彼らは友情で結ばれ、離れ離れになり、大人になってから再び巡り合ったとでもいうのだろうか。できすぎた話だ。情報が足りなさすぎて信憑性に欠くというか、結局は本人の口から真相を聞かないと、全て憶測以上のものにはなれない。
『とにかく、絶対無茶はするなよ。これは命令だ。安全な場所で待機していろ』
 いつもより強い口調で捲し立て、グレイは通話を切った。耳元に叩き込まれた雑音が消え、周囲の静寂がより強調される。ふと、昼間にパブで会話した時のことが過る。
(あの時、もう少し親身になって質問に答えていれば、今の状況に変化があった……とは、考えにくいな)
 今となってはどうにもならないことを悔やむのは性に合わない。それになぜアタシが刑事を志したのかを話していたとしても、状況が好転したとはとても思えない。個人的な話をしてなんになるのか。
(昔誘拐されて、その時の犯人を自分の手で捕まえたいから。だなんて言ってもね)
 急いで出てきて、銃を所持していないのが心許ない。でもこのまま待機するわけにはいかない。ニューマンが死体で発見される可能性だって十分あるのだから。
 アタシは身体の緊張をほぐすために一度深呼吸をし、そのまま第九地区のゲートへと向かった。

 地区内に入ってすぐ目に入った、通りの脇に路駐している車はニューマンのものだ。乗り捨てたのだろうか。それとも、今誰かと落ち合っているのか。
 周りに人はいるが、今通りを歩いている人たちに関しては特別怪しい印象はない。アルコールの匂いが強いくらい。数え切れないほどの犯罪者がのさばっていると耳にするけれど、そういう輩はむしろ表に出てこないのかも知れない。
 初めての土地で勝手がわからないのが、こんなにも苦に思えたのは初めてだ。とりあえずキャロルの遺体発見現場に向かおうと足を踏み出した時、すぐ左手にある細い路地から口論が聞こえる。まさかと思って耳を澄ませば、聞き覚えのある声と、あとは低い女の声がする。
「アナタが過去に商品を横領した責任をとってもらいます」
「お、俺は関係ない、関係ないんだ」
 ニューマンの声が震えている。あまり聞いたことのない声色だ。相手の声は抑揚のない、事務的というよより機械的な感じ。アタシの知らないところで、よくないことが起きていると肌で感じた。
 彼が誰と対峙しているのかを確認しようと、ゆっくり歩を進め、気取られないように身を乗り出した時だった。乾いた発砲音が二発続く。その音が行き着いた先はニューマンの心臓部。被弾した衝撃で彼は膝を崩しながら後方へ倒れる。ニューマンと女が対峙していたその姿を、アタシは横から目撃した。
 アタシは反射的にニューマンを撃った人間へと向かって飛び込む。突然の攻撃に相手も反応が遅れたらしく、勢いづいたアタシ自身もろともコンクリの壁に激突する。その時の反動で、相手が右手で構えていた銃がこぼれ、かけていたサングラスが外れ地に落ちた。
 すかさず相手へ馬乗りになり拘束しようとした瞬間、相手と目が合う。
 アタシの目の前にいたのは——アタシだった。


初出 2016.11.23 第二十三回文学フリマにて頒布

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