Wilderness【10:13 a.m.】
そのまさかだった。荒野で別れたはずのボトム少年が、なぜかここにいる。一瞥した限りでは、表立って故障しているわけではなさそうだが、内部はどうかまで判別がつかない。
もう一度声をかけようと口を開くと、ギギッっと鈍い音に、カメラの動作音。この少年に適切な表現ではないだろうが、どうやら目覚めたらしい。
〈……あレ、ミスター。ごきげんよう〉
「これがご機嫌な状況か……どうした。奴らに見つかったのか」
〈はイ……あのあと、研究所へ向かう途中、見つかっちゃいました。逃げ回ったのですが、バイク集団に囲まれてはなす術もなく〉
「それは災難だったな」
〈まったくです〉
音声に混ざりこむノイズがやや強くなったが、会話に支障はないようだ。そっとヘッド部分に触れてみると、ボトム少年は笑い声とも似つかない変な声を出してみせた。その様子を奇怪なものを見る目つきで見つめていた老人に、俺は一度咳払いしてから向き直り、
「なあ、彼はまだ生きている……って、機械に言うのも変な話だが、俺の窮地を二度も救ってくれた、いわば命の恩人ってやつだ。見逃してやってくれないか」
〈ミスター……〉
ボトム少年が俺を見上げる。
「うーむ。見逃せないこともないが、その代わりに、あんたは私になにをくれるんだ」
老人が交換条件を持ち出してきたが、あいにく謝礼として渡せそうなものは手元にない。鞄の中には、葉巻の一本も見当たらない始末だ。本当に根こそぎ奪われた。
「……残念ながら、今の俺にはなにもない」
「話にならんなぁ」
「物じゃないと駄目か。そもそも、俺はさっきの奴に襲われて無一文になったんだが」
「さっきの奴とは」
「ボトム少年や他のロボットを持ってきた男だ」
「……ああ、ツルか。あんた、あいつにやられたのか」
「ツルだかサムだか知らんが、おかげで荒野のど真ん中で動けなくなった上、熱中症で死にかけた」
「それはそれは」
老人から哀れむような視線を向けられ、俺は今更ながら奴への怒りを覚える。それで反応が遅れてしまった。ボトム少年が俺に注意を促すのと、再度ドアが開くのはほぼ同時だっただろう。
「おいじじい、言い忘れてたが……って、誰だお前」
目の前に現れたのは、ポンチョを羽織る金髪で細身の男。童顔だが、顔面の痩け具合や目尻の皺を見るに、齢は俺とそう変わらなさそうに見える。来訪者は目つきの悪い顔付きを更に険しくし、俺を睨んでくるが、俺も心中穏やかな状態ではないため、咄嗟に両腕を伸ばし胸倉を掴む。
「俺の荷物とバイクを返せ」
「はぁ、知らねぇな」
「おいツル、喧嘩なら外でやれ」
老人は中立を決め込むらしく、面倒そうに声をかけてくる。ツルと呼ばれた男はうるせえと返してから、まじまじと俺の顔を見つめ、やがて合点がいったのか、
「あー、アンタ最近襲われてた奴か。野垂れ死なねえでよく生きてたな」
「襲われてたって、お前が俺の荷物漁っていただろ」
「弾ぶち込んでバイクを転倒させたのは俺じゃねえ。恨むんなら、ここのいかれた連中と自分の不運さを恨みな」
ツルは鼻で笑い、俺の顔に唾を吐く。なんてやつだ。思わず右腕を外し拳を握ると、老人がうんざりとした声でたしなめてくる。
「おい、ここで喧嘩をするなと言ったろう。騒いだら下の連中に引きずり出されるだけじゃすまんぞ。ツルも外様なんだ、大人しくしていろ」
「……お前、ここの人間じゃないのか」
「元は外の人間で、この土地の麻薬密売に噛んでいた運び屋ってやつだ」
「くそじじい、人のこと勝手にぺらぺら喋るな」
俺が掴んだままだった手を緩めると、ツルは俺の腕を振り払い、苛立った様子で頭を掻く。万一のことを考え、退路を断つためにドアの前に移動してみたが、奴は無反応だ。俺は顔面の汚れを腕で雑に拭いながら、
「おい、麻薬の密売に使っていたルートとやらは、まだ使えるのか」
「なんだよ急に」
「急ぎで国境を越えたいんだ。アテがあるなら聞かせてくれ」
「ふーん……」
ツルはジロジロと俺のことを値踏みする眼差しを向けてくる。ところが、口論した時とは打って変わって慎重な面持ちのまま、なかなか切り出してこない。老人もボトム少年も、ことの成り行きを見守っているのか興味がないのか、口を挟まず沈黙を守ったままだ。
ドアの向こうからは、時折誰かの足音や会話が聞こえてくる。この部屋の中では敵意を向けられなくとも、安心できる状況とはほど遠い。長く留まれば留まるほど、脱出のリスクも高まるだろう。
一分にも満たないだろうが、やけに長く感じる空白の時間。終わらせたのはツルだった。
「アンタがなにを期待してたのかは知らねえが、ここを脱出するには、どっちみちこの町を出た先の大橋を渡るしかねえよ。俺はここの魔法使いたちに横流しして、大橋のルートを使っていたからな」
「町ぐるみでやっていたのか」
「そういうこった。これは異能者も一般人も関係なく、利害関係の上成り立ってたのにな。半年前にアイツが全部壊しやがって」
「あいつ、とは」
「いや、そんなことはどうでもいい。それより、この町出ても大橋への道にはここの奴が見張っている。そいつらどうにかしないとどこにも行けねえぞ」
「見張りか。厄介だな」
「アンタ、なんか武器とか持ってないのかよ」
「残念ながらなにも」
「クソが」
それを俺に聞くのがそもそもの間違いだろう。と言わずに飲み込んでいると、しばらく置物と化していたボトム少年がこちらに寄って来た。そしてなにを言うのかと思えば。
〈貴方も自分のことは言えないでしょう〉
「うるせえ、横から口出すんじゃねぇポンコツが。一生黙ってろ」
〈ヒドイ。確かにボクは、最近の自律型作業用ユニットに比べたら性能は低いですけれど、ボクだってこれくらいできるんですから〉
そう言い放ったボトムは、即座に自身のボディー中央部分から「なにか」を発射させ、ツルにぶつけてみせる。バチっという音がしたと思えば、ツルは身体を跳ねさせその場に無言で崩れた。突然のことで驚いたが、その後ゆっくりとボトムのボディーに戻っていくマニピュレータは、どうやらスタンガンを兼ねているらしい。
「なんとまあ」
「ボトム、やればできるじゃないか」
〈はい、いえそれほどでも。威力は気絶させる程度ですし、機体への負担とバッテリーの消費が激しいので、あまり使いたくないのです〉
「そうなのか。だが君ひとりでも、ちゃんと研究所に戻れそうだな」
〈いやいや、ミスターがいないと、ボクの頭と身体が今にもオサラバしてしまいそうです〉
今にも、が引っかかったが、そこでボトム少年のカメラが老人に向かっているのに気付く。そういえばツルの乱入でうやむやになっていたが、この多機能な少年を見逃してもらえないかと交渉していたのだったか。俺たちの関心が老人に移ると、老人は両手を上げ降参のポーズ。
「わかったわかった……どうやら私の分が悪いらしいのはよくわかったよ。電気ショックは勘弁だ。しばらくここに隠れていても構わんから、暗くなったら勝手に出て行ってくれ」
〈ミスター、感謝します〉