Town of Wilderness【05:02 p.m.】
落日を迎え、室内が赤く染まり始めた頃、墓場の部屋を出る。俺たちはお互い無言のまま、ボトム少年が自力で階段を降りるのを見届けてから、元酒場だった部屋に向かう。すると、ちょうどスウィングドアを通った先の老人と遭遇した。
「おお、行くのか」
「ああ。世話になった」
「いや、私はなんもしとらん……そうそう、国境へ続く大橋だがな、見張りの心配はいらんぞ。これから戦士たちは研究所に総出で向かうようだ」
「総出って、なんだ。戦争でも始める気か」
「さあてね。私は蚊帳の外の人間だから、情報がこない。ここしばらく続いた膠着状態に、いよいよ痺れを切らしたか。……麻薬なんぞに侵食され、この土地の声を訊く力が薄れ、ただ目先のものだけしか捉えられなくなった哀れな暴徒たちだ。そしてそれをただ見るだけで、止める力を求めない私もまた、非力で愚かなる者なのだろう」
「……あんたも、魔法使いとやらの末裔なのか」
「さてね。そうであろうがなかろうが、どうでもいいことだ。あんただってそうだろう」
いちいち意味深なことを言う。だが耄碌しての戯れ言にも聞こえない。掴みどころのない老人だ。
「もう会うこともないだろうが……あんたはそのまま流れ続けろ。ひとつの土地に留まらん方がいい。帰る家を捨てた時から、そういう星の巡りに飲まれている。ただし、あんたは人を避けているようでその実、人の善意をまだ信じている節があるお人好しのようだ」
「占いか」
「視えるものをそのまま伝えただけだ。餞別ってやつさ。それじゃあ、達者でな」
老人はこちらを振り返らず階段を上り、あの西日の当たる墓場へと戻っていく。その背中は、一度感じた畏怖を忘れさせるくらい小さかった。
辺りを窺いながら酒場をあとにし、裏路地を縫うように移動し始めるが、近くには誰もいないようだった。耳を澄ますと遠くで話し声かなにかは聞こえるが、その方角は俺が元来た南に集中している。たまに雄叫びが混ざるのは、戦場に赴く前の自分たちを鼓舞するためか。
異様な空気が流れているのが、肌でわかる。巻き込まれる前に脱出したほうが賢明だろう。俺はさっきから黙ってついてきているボトム少年に声をかける。
「君は、ボスのところに戻らなくていいのか。本格的に戦闘が始まったら危険だぞ」
〈……すみませんでした〉
「なにが」
〈これまでのことです。ボクがここに居るのも、魔法使いたちに見つかったからっていうのは、嘘です。本当は貴方の動向を探るようにとマスターの命を受け、わざと彼らに見つかるようにしたのです。貴方が捕縛されようとされまいと、この町に立ち寄るのは必然だったので〉
思いがけない申し出に、俺の足が止まる。まさか昼間の話を蒸し変えしてくるとは。だがこの場に居座るわけにもいかず、俺は先を急ぎ、ボトム少年も後に続きながら低めの音声で続ける。
〈貴方に渡した長靴、底の部分に発信器を仕込んでいます。それをボクが
「なぜそこまでして俺を尾ける。従業員不足はそんなに深刻なのか」
〈ええ。あの研究所には、職員は現在マスターしか居ませんから〉
「……待て、他にも遭難者が一時的に働いているってのは」
〈正確に言うならば、働いてもらいました。異能者であればデータ収集のために。もし一般人であっても、研究所で極秘に栽培していたドラッグの治験や実験台……他にも色々あります〉
ツルがあんな態度をとっていた理由をようやく悟る。無理もない、なかなかひどい話だ。だが、これでまだ終わらなった。
〈ブロンディ。貴方が異能者であるということは、貴方自身は把握していなかったようですが、マスターにはわかっていました。彼も、貴方と同じ異能者なのです〉
なにか聞き捨てならないことを言われた気がする。俺が、異能者だと。流石に自分の顔がこわばる。
〈彼の能力は、相手が異能を持っているかどうかを判別することです。どんな能力かまでは判別つかないそうですが、一般人との区別はつくとのこと〉
「……それで」
〈マスターは異能者の能力を、砂漠化の抑制や森林再生に応用できないかと、作業用ユニットの製造・運営と平行して長年研究し続けていました。その過程で、研究所の予算だけではどうしても資金が足りないのを理由に、麻薬栽培に手を染めてしまいました。しかし、それを個人や一部の賛同者だけで、重役相手にずっと隠し通せるわけもありません。一年後には情報が職員全員に知れ渡り、証拠隠滅のために研究所は閉鎖することになったんですが〉
「なぜ今でも機能している」
〈マスターが職員全員殺害し、全ての実権を掌握しているからです。元々職員自体少人数でしたし、あとは機械やボクみたいな自律型ユニットが稼動していれば、研究所は機能しますから。この町にいる魔法使いたちが研究所に攻撃を仕掛けるのは、かつての職員にこの町の出身者がいたからです。施設内で殺害されたことを魔法使いたちがなんらかの形で知ってしまい、利害関係は崩壊。報復の対象になってしまったのです〉
「……あの老人が憎悪の対象と言っていたのは、そういうことだったのか」
〈……以上が、貴方に隠していたことです〉
長い話が終わった。そのあいだ足は止めずにいたからもう町の外にいる。国境に続くと聞く、断崖絶壁同士を繋ぐ大橋も捉えた。
辺りはもう暗く、視界はあまりいいとはいえないが、天候が荒れていないのが救いか。空気が冷えてきたからか、頭の中も妙に冴えている。自分が異能者だとか、不可解な内容を一気に詰め込まれた割には。
「随分と話が飛躍していて、少し混乱気味だ」
〈そうですか。……見たところ、そんな風には見受けられませんけれど〉
「まあこの歳になってくると、色々鈍くなってくるからな」
そう自虐めいて笑ってみたが、軽口にも対応するボトム少年にしては珍しく返答に困っているのか、砂を運ぶ風の音だけが訪れる。しかしそれも長くは続かず、この空気を破ったのは彼自身だった。
〈ボク、失敗作ですよね〉
「……どうかな」
〈そうですよ。廃墟を出る時、通信を切断しちゃいました。なので、その履き心地の悪いらしい長靴の発信器も意味がなくなりました。ボクを介してじゃないと、研究所に情報がいきませんから〉
「君、本当に有能なんだな」
〈有能でも、指示を聞かないなら駄作も同然ですよ〉